箱石 強ホームページ

誰でも暮らしやすい立川市のまちづくり
はこいし つよし
だれ く たちかわし


箱石 強です

山本太郎さんの参議院選挙を応援しました。


1963年( 0歳) 岩手県に生まれる
1982年(19歳) 岩手県宮古市手話サークル入会
同レクリエーションサークル入会
カントリーバンドのメンバーとなる(ウッドベース担当)
1983年(20歳) 岩手青年の船に参加(地域活動経験者枠として宮古市から推薦)
1984年(21歳) 上京して立川市に
立川市手話友の会に入会
市民団体いろりんに参加(後の授産事業所いろりん)
1985年(22歳) 車椅子生活者や知的障害者の介助を経験
多発性神経根炎発病(約1年入院) 車椅子生活者となる
1987年(24歳) 授産事業所いろりん設立に尽力 副代表になる
1988年(25歳) 障害者の働く喫茶コーナーをつくる会発足
立川市社会福祉協議会ボランティア連絡会世話人になる
1989年(26歳) 立川市中央公民館内に障害者の働く喫茶コーナーたんぽぽ設立
代表になる
立川市手話通訳制度設立に尽力
1990年(27歳) 都立立川高校定時制入学(95年卒業)
憲法を考える立川市民の会主催憲法集会でリレートーク
(障害者の障害者の立場で講演)
1992年(29歳) 多発性神経根炎再発(約3ヶ月入院)
一時期の杖歩行も可能な状態から再び常時車椅子生活に
在宅生活準備会を発足させる
1996年(33歳) 障害児の地域デイ事業テイクオフ高松町に開所(都補助金事業)
1997年(34歳) 障害児の地域デイグループみんなの広場栄町に開所(同)
1998年(35歳) みんなの広場2開所(同)
1999年(36歳) みんなの広場柴崎町開所(同)
2000年(37歳) みんなの広場一番町開所(同)
みんなの広場昭島開所(同)
2002年(39歳) 誰もが安心して暮らせるまちづくりの会ニュース発行開始
立川市議会議議員選挙に立候補
1,078票 35位(定数32)
NPO法人介助派遣事業みんなの広場設立 理事長になる
2004年(41歳) みんなの広場事業全体で年間約1億円の財政基盤をつくり
運営を安定させる
2005年(42歳) 生ゴミ処理機を自宅に導入
2006年(43歳) 立川市議会議員選挙に立候補
1,290票 31位次点(30位当選者との差26票)
2007年(44歳) 立川市議会議員補欠選挙に立候補
22,416票次点(この時の市長選当選者は17,864票)
生ゴミ肥料化の会発足
2010年(47歳) 立川市議会議員選挙に立候補
1,409票 29位次点(28位当選者との差8票)
公的施設に市民交流喫茶室をつくる会発足
柴崎学習館利用者団体懇談会実施に尽力する
自宅の照明のほとんどをLED化し省電力に取り組む
(エアコンの使用大幅抑制等)
太陽光発電・風力発電等自然エネルギーの研究を始める
2011年(48歳) 東北大震災をきっかけに小水力発電の研究に取り組み、個人で
水車発電の見学に行く(長野県大町市・松本市・山梨県都留市)
自宅の電力契約を10Aに変更し、エアコンを完全封印
電気の使用を極力抑え、原発のいらない生活を実践
ハンディ者の余暇活動の会発足
2012年(49歳) 羽衣1丁目都営第2アパート自治会自治会班長・総務部長
一般社団法人主催の小水力発電連続講座・現地見学会実施に
尽力する(山梨県都留市・北杜市)
支え合いサロン実施
2013年(50歳) 柴崎学習館「サロン・ひろば」事業の喫茶実習開始
立川市ごみ減量協力員に任命される
自治会副会長になる
一般社団法人の主催の小水力発電実践学習会・交流会実施に
尽力する
誰もが安心して暮らせるまちづくりの会ニュース(現在84号まで発行)
参議院選挙東京選挙区東京選挙区山本太郎候補を応援(当選)
手話のうたサークル発足
2014年(51歳) 柴崎議会議員選挙に立候補
プロフィール










